運川寺と同寺文書
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/01/14 09:36 UTC 版)
14世紀半ばの南朝・正平年間に、書写された運川寺蔵(奈良県吉野郡川上村)の大般若経には奥書が添付されている。この奥書は、真木(牧)氏の執事によって著述されたものであるが、この中には南朝方の楠木氏と並び真木(牧)定観・堯観父子の名が見える。また「牧之城内」などの記述が見えるほか、牧堯観が楠木正儀(正行の弟)と結び、河内国古市城を攻めた記述もある。 運川寺の背部の山には、中世の城跡があるが、これが牧城または牧之城と推察されている。
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