近代以降の金生町
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/12 22:35 UTC 版)
「金生町 (鹿児島市)」の記事における「近代以降の金生町」の解説
1888年(明治21年)に公布された市制(明治21年法律第1号)に基づき、1889年(明治22年)2月2日に官報に掲載された「 市制施行地」(内務省告示第1号)によって鹿児島が市制施行地に指定された。3月5日には鹿児島県令第26号によって鹿児島郡のうち50町村が市制による鹿児島市の区域と定められ、4月1日に市制が施行されたのに伴い、鹿児島郡50町村(山下町、平之馬場町、新照院通町、長田町、冷水通町、上竜尾町、下竜尾町、池之上町、鼓川町、稲荷馬場町、清水馬場町、春日小路町、車町、恵美須町、小川町、和泉屋町、浜町、向江町、栄町、柳町、易居町、中町、金生町、東千石馬場町、西千石馬場町、汐見町、泉町、築町、生産町、六日町、新町、松原通町、船津町、呉服町、大黒町、堀江町、住吉町、新屋敷通町、加治屋町、山之口馬場町、樋之口通町、薬師馬場町、鷹師馬場町、西田町、上之園通町、高麗町、下荒田町、荒田村、西田村、塩屋村)の区域より鹿児島市が成立した。それまでの金生町は鹿児島市の町「金生町」となった。1914年(大正3年)に鹿児島電気軌道が路面電車を町内に敷設し、いづろ通電停、朝日通電停、金生町電停が設置された。金生町電停は1943年(昭和18年)に廃止されている。 1962年(昭和37年)に住居表示に関する法律が施行されたのに伴い、鹿児島市は鹿児島市街地域の住居表示に着手した。1965年(昭和40年)7月20日に中央地域の住居表示が実施され、金生町の全域で住居表示が実施された。
※この「近代以降の金生町」の解説は、「金生町 (鹿児島市)」の解説の一部です。
「近代以降の金生町」を含む「金生町 (鹿児島市)」の記事については、「金生町 (鹿児島市)」の概要を参照ください。
- 近代以降の金生町のページへのリンク