軽快電車の開発
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/16 19:14 UTC 版)
1960年代後半以降、日本においてはモータリゼーションによる路線廃止とその余剰車の譲受によって路面電車の新造がほぼ途絶え、僅かに建造された新造車も、労働争議の影響もあって従来のシステムを踏襲するに留まり、技術的には完全に停滞状態に陥っていた。このため1970年代後半にはモータリゼーションの嵐を乗り切った当時の西ドイツなどの路面電車先進国と比較した場合、日本の路面電車は著しく見劣りするばかりか、以後発生するであろう老朽車群の代替用新造車の製造さえままならない、という状況に追い込まれていた。 この問題を解決するには「完全新規設計で高性能路面電車を開発する必要がある」と判断された。そこで、路面電車を近代的な公共交通機関として再生を目指して1978年、日本鉄道技術協会内に運輸省・学識経験者・鉄軌道事業者、そしてメーカの代表で構成される開発委員会が設置され、日本船舶振興会の資金援助の下で各要素技術ごとの開発が、車輌・機器メーカー各社とユーザーである幾つかの路面電車経営企業の共同作業で進められることになった。 こうして誕生したのが軽快電車である。 足かけ3年に及ぶ技術開発の末1980年(昭和55年)夏に、それらの新開発機器を搭載した実用試験車として広島電鉄3500形3車体連接車1編成、およびその技術を反映した車両として長崎電気軌道2000形2両が、それぞれ竣工した。
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