軍記物による最期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/08 01:58 UTC 版)
『小田原北条記』巻六「三浦右衛門佐」では、百姓に対し、重い労役を課し、家財まで売却させたため、反感と恨みを買い、花沢落城の際、単騎で三河国に逃げ延びた際、(元の領民から)身元が分かった上で落ち武者扱いされ、落ち武者狩りを受け、馬から引き落とされ、甲冑身ぐるみを剥がされた末、裸にされて追っ払われた。さらに高天神(現小笠郡大東町)に着き、小笠原与八郎に縛り上げられた際は、切り手の足助長久郎が近づいて、助願のためには、耳鼻は削がれてもよいかとたずねられ、「耳鼻は削がれても良いから助けてほしい」と命乞いをするも、それを聞いた小笠原は、「その心ゆえ恥を忘れて、ここまで来たのだ」と言い返し、即斬首された。
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