軍事政権期間
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1963年3月16日、国家再建最高会議議長朴正煕の提起により、軍事政権指導者と旧体制指導者との間で会合が実施された。軍事政権側からは金熙德外務兼国防委員長、柳陽洙財経委員長、洪鍾哲文社委員長らが参加。旧体制側からは金度演のほか、前大統領尹潽善、前国務総理張澤相、初代国務総理李範奭らが参加した。会合では軍事政権側が3・16声明を発表することになった経緯について説明を行った。金度演は「アメリカなどの国でも大統領候補が19人も名を連ねることがあるのだから、わが国で政党が多すぎるなどと憂慮する必要はない」と述べ、旧体制側の政治家の政治活動を規制する政治活動浄化法を問題視した。朴正煕は「国が滅びた後で愛国者と評価されても無意味だ。逆賊と罵る者がいようとも、国を立て直す」と反論した。結局、両者の間で着地点が見えないまま、会合は終了した。 1963年3月16日、朴正煕は3・16声明を撤回することなく、軍政延長を宣言した。3月19日、金度演は尹潽善、張澤相、金俊淵、李範奭らとともに、朴正煕に対して3・16声明の底意を追求した。 1963年8月1日、ソウル市民会館において開催された国民の党創党発起人大会に参加した。民政党代表委員金炳魯、新政党委員長許政、民友党顧問李範奭が党の共同代表となり、金度演、李應俊、李仁、安浩相、銭鎮漢が党指導委員に選出された。しかし、「国民の党」は大統領選挙の候補者選出を巡って尹潽善と許政が対立し、尹潽善が離脱したことで、群小政党に転落、金度演は自由民主党に参加した。
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