軍事および経済
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/20 23:41 UTC 版)
「ワルシャワ公国軍」も参照 公国の軍事大臣ユゼフ・ポニャトフスキは、フランスの元帥でもあった。彼を通じて、公国軍は完全にフランスの指揮下に置かれていた。公国の人口300万人に比べると、常備軍は相当な規模であった。初めは、正規兵(騎兵と歩兵で構成)が4万5千人から成っていたが、1810年にはその数は10万人以上に増え、1812年のナポレオンのロシア遠征の際には20万人となった。強固に軍事化された公国は、ナポレオン戦争の際には、国境を接するプロイセン王国、オーストリア帝国、ロシア帝国に対する重要な拠点となった。 公国の経済は、労働力が兵力として奪われる問題と穀物が国外流出する問題の2つの大きな問題を抱えた。その上、1808年にベイヨンで開かれた公国とフランス帝国との会合において、フランスからプロイセンが借入れした債権を、公国がフランスから買い取る約束をさせられた。4300万フラン以上の債権額を2100万フランで買い取り、公国はフランスに4年以上の分割で支払った。ところが、プロイセンは公国に債務を返済できず、この損失が公国への深刻な負担となった(後世になっても、ポーランド人は大金のこと「ベイヨンの金額」と呼ぶことがある)。以上のような問題が重なった結果、インフレが発生し、過重な増税も行われることになった。 財政破綻を免れようと、政府は農業の発展と近代化に力を注いだ。また、産業を保護するために保護貿易政策がとられた。
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