越後への帰郷
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/15 22:41 UTC 版)
親鸞が関東からの帰京する際の恵信尼の動向については、諸説ある。 京都へは同行せずに、越後に帰郷したとする説。 京都に同行して約20年ともに暮らし、康元元年(1256年)に親鸞の世話を末娘の覚信尼に任せて、越後に帰っていたとする説。 関東での拠点であった「稲田の草庵」に残り、そこで没したとする説。(西念寺寺伝) 弘長2年(1262年)に親鸞が京都で没した際には、越後で喪中陰に服している。没年は正確には不明だが、確認できる最後の消息は文永5年(1268年)3月12日付の覚信尼宛ての書状である。2006年には「文永7年(1270年)9月18日に死去し、19日に大江山に葬られた」という内容の古文書(1811年の写本)が発見されているが、史実かどうかは今のところ不明。
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