赤塚藤雄とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 赤塚藤雄の意味・解説 

赤塚不二夫

(赤塚藤雄 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/25 01:45 UTC 版)

赤塚 不二夫(あかつか ふじお、本名:赤塚 藤雄(読み同じ)、1935年〈昭和10年〉9月14日 - 2008年〈平成20年〉8月2日)は、日本漫画家タレント俳優満洲国熱河省出身。フジオ・プロダクション創設者。


注釈

  1. ^ 現在の中華人民共和国河北省承徳市灤平県と北京市密雲県古北口中国語版との境界線。
  2. ^ 両親が奉天で寿司割烹店を営んでおり冀東防共自治政府地区で少年時代を過ごした弟子に古谷三敏、祖父が満鉄連京線熊岳城駅駅長を勤めていたなど一族の所縁があることから満洲を精神的故郷“偽郷”と位置付けており、また子供の頃の事故により右目の視力を失っている人物としては後に赤塚の盟友となったタモリがおり、自身や母親との共通点から親近感を抱いたこともあって彼を居候として手厚く迎え入れたとも言われている。
  3. ^ 以前満洲で父が危険な辺境勤務をしている間に1年間預けられていたことがある。
  4. ^ 父の実家である赤塚家はこの寺の檀家であったらしく、後に赤塚の両親が死去した際この寺で葬式が行われた。
  5. ^ しかし、漫画家として成功した後も新潟との関係は大切にしており、法讃寺や潟東歴史民俗資料館、東公園などに多くの直筆画を寄贈しているほか、母校での講演や地元のイベント、同窓会にも積極的に参加していた。没後の2015年には、それら新潟の各施設に寄贈した作品群を集結した展覧会「潟東にゆかりのある 赤塚不二夫 生誕80年記念展」も開催されている[29]。また、地元紙「新潟日報」には『ネコの目ニュース』(1970-71年)や『わたしの生家』(1974年)、『四畳半の西日』(1975年)、『ふるさと人物伝 人生はギャグなのだ』(1996年)、『ほっとする新潟の空気』(2000年)など、全盛期から晩年まで多くの漫画・エッセイ作品を発表している[30]
  6. ^ マンガをはみだした男 赤塚不二夫』では1953年〈昭和28年〉としている。
  7. ^ 投稿欄に住所も載せる緩やかな時代だった。
  8. ^ 最初、よこたと共に若木書房に持ち込みにいったが、よこたの漫画のみ採用され二件目に行ったのが曙出版である。
  9. ^ 2005年二見書房刊「赤塚不二夫のおコトバ」P.60に「(トキワ荘仲間の中で)オレだけ彼女がいたんだよ。ハンサムだったから」という赤塚の発言が、藤子不二雄によって紹介されている。
  10. ^ 原稿提出日を「今日か明日か」と言うことから「泉鏡花」を連想し、そこをもじって「いずみあすか」となった[38]
  11. ^ 3人ともワーグナーが好きだったためドイツ名の「マイヤー」が候補となり、そこにU(ドイツ読みでウー)を付け「うまいやー」となり3人の頭文字(水野のM、石ノ森のI、赤塚のA)になるようにもじって「U・MIA」、表記をカタカナとし「U・マイア」となった
  12. ^ 赤塚不二夫は、アシスタント制度は自分が最初に導入したと述べている[13]
  13. ^ ただし、赤塚は同社の出版部門のみに属し、アニメーション部門にはノータッチであった[44]
  14. ^ 以後2010年現在までに『天才バカボン』は4度、『ひみつのアッコちゃん』は3度、『おそ松くん』『もーれつア太郎』が2度にわたりテレビアニメ化されている。
  15. ^ 『バカボン』の第1作のアニメ化の際に「パパが無職なのは子供番組として良くない」というテレビ局の要請で植木屋と無断で設定された際には「パパは無職(バガボンド=放浪者)でないといけない」としている赤塚を失望させたと言う。そのために2回目のアニメの際に赤塚は拒否するはずだったと言い、原作に忠実=パパが無職と言うことで「元祖」と言うタイトルを付けており、ED「元祖天才バカボンの春」の作詞も手がけている。
  16. ^ 元々、まんがNo.1という名前はフジオプロのファンクラブ会報のタイトルだった
  17. ^ 『天才バカボン』「週刊少年マガジン」、『のらガキ』「週刊少年サンデー」、『ギャグゲリラ』「週刊文春」、『オッチャン』「週刊少年キング」、『ワルワルワールド』「週刊少年チャンピオン」。
  18. ^ 『天才バカボン』「月刊少年マガジン」、『赤塚不二夫の歌謡ギャグ劇場』「月刊明星」、『つまんない子ちゃん』「プリンセス」、『らくガキ』「読売新聞 日曜日版」、『ニャンニャンニャンダ』「冒険王」(途中より斉藤あきらによる代筆)、『元祖天才バカボン』「月刊テレビマガジン」(長谷邦夫による代筆)、『おまわりさん』「全電通文化」(途中より北見けんいちによる代筆)。
  19. ^ 漫画好きで知られる麻生太郎自由民主党幹事長(当時)も「あの種のギャグ漫画の草分け的存在で、(イヤミの)『シェー』はじめ、よく笑った。ちょっと残念だ」とコメントした。天才といわれ、その天才さえギャグにした「赤塚不二夫」さん死去”. オフイス・マツナガのブログ!(現役雑誌記者によるブログ日記!) (2008年8月3日). 2014年2月5日閲覧。
  20. ^ ビートたけしも一時的に参加した事があったが(本人の項参照)、グループの雰囲気が肌に合わず離れている。ただし、その後も赤塚の対談集『これでいいのだ。』へ参加したり、バカボンのパパを思わせる扮装を好んで披露したりしている。共演頻度こそ少ないがタモリとも交流を保っており、また所ジョージとは公私に亘っての盟友関係にある。
  21. ^ 武居俊樹・著「赤塚不二夫のことを書いたのだ!!」に「オレ、由利徹、尊敬しているの。あの人、ずうっと、くだらないことやり続けてるじゃない」「オレは由利徹で行く。死ぬまでくだらない漫画描き続ける」という、赤塚の発言がある[139]

出典

  1. ^ a b 赤塚不二夫略歴. 2021年9月6日閲覧
  2. ^ a b c d 赤塚不二夫インタビュー アーカイブ”. 日本漫画学院. 2008年9月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年6月12日閲覧。
  3. ^ 笑わずに生きるなんて 1984, p. 19.
  4. ^ 中野晴行 (2018年3月16日). “【マンガ探偵局がゆく】赤塚不二夫は少女マンガを描いていた? デビュー作はシリアスな少女向け貸本『嵐をこえて』(1/2ページ)”. zakzak:夕刊フジ公式サイト. 2023年11月21日閲覧。
  5. ^ “ギャグマンガの王様「これでいいのだ!! 映画☆赤塚不二夫」”. zakzak. (2011年4月4日). オリジナルの2014年6月16日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20140616124730/http://www.zakzak.co.jp/entertainment/ent-news/news/20110404/enn1104041541016-n1.htm 2014年6月16日閲覧。 
  6. ^ これでいいのだ 2008, p. 9-10.
  7. ^ "古北口". 世界大百科事典 第2版. コトバンクより2023年11月25日閲覧
  8. ^ 赤塚不二夫の満州
  9. ^ マンガ ぼくの満洲
  10. ^ 日の丸旗之助 - マンガ図書館Z(外部リンク)
  11. ^ これでいいのだ 2008, p. 10-92.
  12. ^ 赤塚藤七『星霜の記憶』フジオプロ、1972年。 
  13. ^ a b c d e f マンガをはみだした男 赤塚不二夫
  14. ^ これでいいのだ 2008, p. 110.
  15. ^ 満州生活写真集「宮岸家族」⑦満州生活写真集「宮岸家族」⑧
  16. ^ 名和広『赤塚不二夫大先生を読む「本気ふざけ」的解釈 Book 1』社会評論社、20頁、2011年
  17. ^ これでいいのだ 2008, p. 11.
  18. ^ これでいいのだ 2008, p. 38.
  19. ^ これでいいのだ 2008, p. 43.
  20. ^ これでいいのだ 2008, p. 44.
  21. ^ 赤塚不二夫、北見けんいちちばてつや 他『ボクの満州―漫画家たちの敗戦体験』亜紀書房、1995年。ISBN 978-4750595245 
  22. ^ これでいいのだ 2008, p. 43-46.
  23. ^ これでいいのだ 2008, p. 47.
  24. ^ 引き揚げ、そして祖国へ
  25. ^ 武居 2007, p. 69-74.
  26. ^ 2008年8月13日付『しんぶん赤旗』掲載・石子順「赤塚不二夫さんを送る」より。
  27. ^ a b 赤塚不二夫プロフィール”. Village center. 2000年12月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年6月12日閲覧。
  28. ^ 「青春紀行」『異国の丘新潟』(昭和57年読売新聞大阪本社版掲載)
  29. ^ 【生誕80周年】ゆかりの地・新潟で「赤塚不二夫 生誕80年記念展」が開催! | トピックス”. 2021年6月27日閲覧。
  30. ^ 『ユリイカ 総特集・赤塚不二夫』青土社、2016年、146頁。 
  31. ^ これでいいのだ 2008, p. 155.
  32. ^ 少女漫画家 赤塚不二夫 2020, p. 66.
  33. ^ 漫画少年 S29年5月号1954(S29)05.20”. ekizo.mandarake.co.jp. 2021年7月3日閲覧。
  34. ^ 松本孝幸 手塚治虫とその周辺「つげ義春」. 2021年9月6日閲覧
  35. ^ 『赤塚不二夫漫画大全集DVD-ROM』小学館、2002年。 
  36. ^ a b c これでいいのだ!! 赤塚不二夫 伝説”. フジテレビジョン (2010年8月29日). 2010年8月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年6月12日閲覧。
  37. ^ 藤子不二雄Ⓐ『78歳いまだまんが道を…』2012年、68頁。ISBN 978-4120043918 
  38. ^ a b c 石ノ森章太郎 萬画大全集 動画インタビュー 水野英子・丸山昭(元『少女クラブ』編集長)対談(第2回)”. 石森章太郎プロ. 2008年2月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年6月13日閲覧。
  39. ^ INAX サウンド オブ マイスター:くにまる東京歴史探訪”. 文化放送 (2007年7月2日). 2008年4月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年6月13日閲覧。
  40. ^ 『中国の群雄 諸葛孔明(赤塚不二夫 眩しき男たち)』旺文社、1985年1月25日、128-129頁。 
  41. ^ トキワ荘・青春物語〜横山孝雄の巻”. 風こぞうのブログ (2012年4月24日). 2014年2月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年6月13日閲覧。
  42. ^ 少女漫画家 赤塚不二夫 2020, p. 67.
  43. ^ “赤塚不二夫さん頑張るのだ!幻の名作を初単行本化”. ZAKZAK. (2004年9月6日). オリジナルの2004年9月6日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20040906235340/http://www.zakzak.co.jp/gei/2004_09/g2004090609.html 2014年6月13日閲覧。 
  44. ^ 文藝別冊 KAWADE夢ムック「総特集 赤塚不二夫 ふしぎだけどほんとうなのだ」(2008年、河出書房新社)P.249
  45. ^ これでいいのだ 2008, p. 193-198.
  46. ^ “ニャロメ故郷に帰る”. (「新潟日報」1970年11月28日) 
  47. ^ 武居 2007.
  48. ^ 『レッツラゴン』作品紹介”. 赤塚不二夫公認サイトこれでいいのだ. 2014年6月26日閲覧。
  49. ^ 文化ジャーナル9月号『まんがNo.1』の時代(14)長谷邦夫さん◎インタビュー”. 北島町HOMEPAGE (2007年9月1日). 2007年10月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年6月13日閲覧。
  50. ^ 武居 2007, p. 279.
  51. ^ a b ラディカル・ギャグ・セッション(1988年、河出書房新社)
  52. ^ 名和広『赤塚不二夫というメディア 破戒と諧謔のギャグゲリラ伝説』社会評論社、2014年、190-192頁。ISBN 978-4784519118 
  53. ^ これでいいのだ 2008, p. 204-208.
  54. ^ 夜の赤塚不二夫 2021, p. 2.
  55. ^ 夜の赤塚不二夫 2021, p. 4.
  56. ^ 赤塚不二夫と二人の妻”. 本の話WEB - 文春写真館(文藝春秋) (2009年3月9日). 2013年2月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年6月14日閲覧。
  57. ^ 夜の赤塚不二夫 2021, p. 5.
  58. ^ 文化ジャーナル9月号 『漫画に愛を叫んだ男たち』(清流出版) 著者・長谷邦夫先生に聞く”. 北島町HOMEPAGE (2004年9月1日). 2005年4月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年6月13日閲覧。
  59. ^ 歴代受賞者(日本漫画家協会賞および文部科学大臣賞) 第23回(1994年度) - 第32回(2003年度)”. 社団法人 日本漫画家協会. 2013年12月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年6月16日閲覧。
  60. ^ “98年秋の紫綬褒章 赤塚不二夫氏が受賞「俺にくれるの?」”. Sponichi Annex. (1998年11月2日). オリジナルの2014年6月14日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20140614051531/http://www.sponichi.co.jp/entertainment/special//akatuka/KFullNormal19981102000.html 2014年6月14日閲覧。 
  61. ^ 『郷土作家シリーズ-赤塚不二夫展-リーフレット』新潟市美術館、1998年。 
  62. ^ “新潟日報「赤塚不二夫さんが帰郷 念願個展に喜び」”. (1998年4月10日) 
  63. ^ “読売新聞「故郷であいさつ なんとも幸せです」”. (1998年4月11日) 
  64. ^ 『赤塚不二夫伝-天才バカボンと三人の母-』内外出版社、2019年、225-226頁。 
  65. ^ “赤塚不二夫氏「食道がん」なのだ 手術拒否、スポニチに告白”. Sponichi annex. (1998年3月27日). オリジナルの2014年6月14日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20140614034456/http://www.sponichi.co.jp/entertainment/special/akatuka/KFullNormal19980327000.html 2014年6月14日閲覧。 
  66. ^ “赤塚不二夫さん がん入院を告白”. Sponichi Annex. (1999年7月4日). オリジナルの2014年6月14日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20140614050344/http://www.sponichi.co.jp/entertainment/special//akatuka/KFullNormal19980704000.html 2014年6月14日閲覧。 
  67. ^ “赤塚不二夫さん がん手術していた 入院5カ月「死んでる暇ない」”. Sponichi Annex. (1999年4月9日). オリジナルの2014年6月14日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20140614051013/http://www.sponichi.co.jp/entertainment/special//akatuka/KFullNormal19990409000.html 2014年6月14日閲覧。 
  68. ^ “赤塚不二夫さん 水割りグビグビ 食道がんから復活”. Sponichi Annex. (1999年4月30日). オリジナルの2014年6月14日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20140614045931/http://www.sponichi.co.jp/entertainment/special//akatuka/KFullNormal19990430000.html 2014年6月14日閲覧。 
  69. ^ “お別れなのだ 赤塚不二夫さん死去”. 朝日新聞. (2008年8月3日). オリジナルの2014年6月14日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20140614040012/http://www.asahi.com/special/08-09/news2/TKY200812050244.html 2014年6月14日閲覧。 
  70. ^ “赤塚さん がん闘病中も酒を手放さず…”. Sponichi Annex. (2008年8月3日). オリジナルの2008年10月19日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20081019131328/http://www.sponichi.co.jp/entertainment/special/akatuka/KFullNormal20080803135.html 2014年6月14日閲覧。 
  71. ^ 夜の赤塚不二夫 2021, p. 7-9.
  72. ^ “赤塚不二夫さん 開頭手術・さすがに断酒なのダ”. Sponichi Annex. (2000年9月12日). オリジナルの2014年6月14日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20140614053003/http://www.sponichi.co.jp/entertainment/special//akatuka/KFullNormal20000912000.html 2014年6月14日閲覧。 
  73. ^ 2000年8月|日記2000 〜 2002”. 赤塚不二夫公認サイト これでいいのだ. 2014年6月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年6月16日閲覧。
  74. ^ 2000年9月|日記2000 〜 2002”. 赤塚不二夫公認サイト これでいいのだ. 2014年6月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年6月16日閲覧。
  75. ^ 2000年10月|日記2000 〜 2002”. 赤塚不二夫公認サイト これでいいのだ. 2014年6月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年6月16日閲覧。
  76. ^ 2000年11月|日記2000 〜 2002”. 赤塚不二夫公認サイト これでいいのだ. 2014年6月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年6月16日閲覧。
  77. ^ “赤塚不二夫氏 目の見えない子にもギャグを… 点字絵本なのだ”. Sponichi Annex. (2000年8月12日). オリジナルの2014年6月15日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20140615043726/http://www.sponichi.co.jp/entertainment/special//akatuka/KFullNormal20000812000.html 2014年6月15日閲覧。 
  78. ^ 武居 2007, p. 350-351.
  79. ^ 2001年5月5日放送「美と出会う」漫画家 赤塚不二夫〜ギャグのココロは愛なのだ〜(NHK教育)より。
  80. ^ 2001年2月|2000〜2002”. 赤塚不二夫公認サイト これでいいのだ!!. 2014年6月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年6月14日閲覧。
  81. ^ “赤塚不二夫氏 元気に新年会なのだ!”. Sponichi Annex. (2001年2月9日). オリジナルの2014年6月14日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20140614054139/http://www.sponichi.co.jp/entertainment/special//akatuka/KFullNormal20010209000.html 2014年6月14日閲覧。 
  82. ^ 2002年4月|日記2000 〜 2002”. 赤塚不二夫公認サイト これでいいのだ. 2014年6月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年6月16日閲覧。 - 公認サイト内の日記は倒れる前日の記事で終了しており、東京アニメーター学院の入学式で講演を行った事が記載されている。
  83. ^ “赤塚不二夫さん 脳内出血で手術していた”. Sponichi Annex. (2002年4月21日). オリジナルの2014年6月14日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20140614054540/http://www.sponichi.co.jp/entertainment/special//akatuka/KFullNormal20020421000.html 2014年6月14日閲覧。 
  84. ^ 赤塚不二夫漫画大全集 全271巻セット・赤塚 不二夫|コミックパークで立ち読み!”. www.comicpark.net. 2021年10月22日閲覧。
  85. ^ 電子書籍で『天才バカボン』38巻新発売! | トピックス”. 2021年10月22日閲覧。
  86. ^ 【まんが界の巨匠】「ギャグ漫画の王様」赤塚不二夫に注目! - 無料まんが・試し読みが豊富!ebookjapan|まんが(漫画)・電子書籍をお得に買うなら、無料で読むならebookjapan”. ebookjapan.yahoo.co.jp. 2021年10月22日閲覧。
  87. ^ 山口孝『赤塚不二夫伝 天才バカボンと三人の母』内外出版社、2019年、258頁。 
  88. ^ <新型コロナ>赤塚不二夫会館が閉館 青梅 外出自粛要請受け4日早く:東京新聞 TOKYO Web”. 東京新聞 TOKYO Web. 2021年10月22日閲覧。
  89. ^ “赤塚不二夫さんの妻、眞知子さんがまさかの死”. ZAKZAK. (2006年7月25日). オリジナルの2007年2月27日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20070227205635/http://www.zakzak.co.jp/gei/2006_07/g2006072501.html 2014年6月13日閲覧。 
  90. ^ “漫画家 赤塚不二夫さん死去”. スポーツ報知. (2008年8月2日). オリジナルの2008年8月5日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20080805080148/http://hochi.yomiuri.co.jp/topics/news/20080802-OHT1T00270.htm 2014年6月13日閲覧。 
  91. ^ なぎら健壱FC会報
  92. ^ お見舞いで”. ちばてつや『ぐずてつ日記』 (2008年2月24日). 2008年4月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年2月5日閲覧。
  93. ^ “赤塚不二夫さん通夜にタモリら1200人参列”. nikkansports.com. (2008年8月7日). オリジナルの2012年1月27日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20120127045208/http://www.nikkansports.com/entertainment/news/p-et-tp0-20080807-392711.html 2014年2月4日閲覧。 
  94. ^ 赤塚不二夫”. ちばてつや『ぐずてつ日記』 (2008年8月3日). 2009年2月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年2月5日閲覧。
  95. ^ “赤塚不二夫さん死去の3日前に前妻が病死”. nikkansports.com. (2008年8月3日). オリジナルの2008年8月6日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20080806025222/http://www.nikkansports.com/entertainment/news/p-et-tp0-20080803-391174.html 2014年6月14日閲覧。 
  96. ^ “タモリ、赤塚不二夫さんへコメント「先生、ありがとうございました」”. スポーツ報知. (2008年8月2日). オリジナルの2009年8月31日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20090831152907/http://hochi.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20080805-OHT1T00034.htm 2014年2月4日閲覧。 
  97. ^ 赤塚りえ子(著) 『バカボンのパパよりバカなパパ 赤塚不二夫とレレレな家族
  98. ^ “ギャグで約8分赤塚弔辞 タモリが明かす真相”. J-CASTニュース. (2008年8月19日). オリジナルの2011年2月26日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20110226070238/http://www.j-cast.com/2008/08/19025350.html 2014年2月4日閲覧。 
  99. ^ “タモリさんの弔辞(全文) 赤塚不二夫さん告別式”. 47NEWS. (2008年8月7日). オリジナルの2013年6月4日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20130604225924/http://www.47news.jp/CN/200808/CN2008080701000680.html 2014年2月4日閲覧。 
  100. ^ 赤塚不二夫(KAWADE夢ムック 文藝別冊)
  101. ^ コアでいいのだ!さくいんブック 2019, p. 149-150.
  102. ^ コアでいいのだ!さくいんブック 2019, p. 148-149.
  103. ^ アニメフェア第5回功労賞 赤塚不二夫氏、小松原一男氏ら9名. アニメ!アニメ!. 2008年12月9日記事. 2021年9月14日閲覧
  104. ^ misono「赤塚不二夫展」で大御所マンガ家と生シェーッ!コラボ. 音楽ナタリー. 2009年8月26日. 2021年9月14日閲覧
  105. ^ コアでいいのだ!さくいんブック 2019, p. 150.
  106. ^ すべて初蔵出しの“お宝”マンガ集『夜の赤塚不二夫』が7月28日(水)発売! | トピックス”. 2021年10月8日閲覧。
  107. ^ 単行本未収録 “幻の赤塚マンガ” をまとめた究極の1冊が7/28発売! | アニメージュプラス - アニメ・声優・特撮・漫画のニュース発信!”. animageplus.jp. 2021年10月13日閲覧。
  108. ^ 両極端なレア作品集 赤塚不二夫86歳の誕生日に“良い赤塚”と“悪い赤塚”を読もう! | アニメージュプラス - アニメ・声優・特撮・漫画のニュース発信!”. animageplus.jp. 2021年10月13日閲覧。
  109. ^ 赤塚不二夫の「これでいいのだ!!」人生相談
  110. ^ 漫画家・古谷三敏が語る 手塚治虫と赤塚不二夫の酒の思い出
  111. ^ “赤塚不二夫氏の“長男”菊千代 大往生”. Sponichi Annex. (1997年10月11日). オリジナルの2014年6月23日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20140623023229/http://www.sponichi.co.jp/entertainment/special//akatuka/KFullNormal19971011000.html 2014年6月23日閲覧。 
  112. ^ 2001年 1月 | 日記 2000~2002
  113. ^ 『人生これでいいのだ!!』「第七章・映画が教えてくれたのだ!」赤塚不二夫、集英社文庫、集英社。1999年2月25日。pp.218-224。
  114. ^ パパの質問コーナー”. 赤塚不二夫公認サイト これでいいのだ!!. 2007年2月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年6月14日閲覧。 - 「片眼のジャックさん」からの質問
  115. ^ 2001年 9月 | 日記 2000~2002
  116. ^ 『ニャロメのおもしろ数学教室』新講社、1995年。 
  117. ^ 2002年 4月 | 日記 2000~2002
  118. ^ 赤塚不二夫編集*ギャグ漫画ファン誌*「まんがNo.1」第7号(1968年3月発行)p.32
  119. ^ 奥成達さんも出演「私がつくった番組 赤塚不二夫の「激情No1」1973(bookbar5)
  120. ^ “祝・赤塚生誕75周年。Googleロゴがバカボンバージョン”. コミックナタリー. (2010年9月14日). オリジナルの2012年7月15日時点におけるアーカイブ。. https://archive.is/sGht 2014年6月13日閲覧。 
  121. ^ “祝・赤塚生誕75周年。Googleロゴがバカボンバージョン / 2010年9月14日現在のGoogleトップページ。”. オリジナルの2014年2月5日時点におけるアーカイブ。. https://archive.is/1OjML 2014年6月13日閲覧。 
  122. ^ Google Doble アーカイブ
  123. ^ 『赤塚不二夫大先生を読む「本気ふざけ」的解釈 Book1』p.30
  124. ^ 名和広のツイート 2014年12月5日
  125. ^ 名和広のツイート 2017年10月26日
  126. ^ 名和広のツイート 2014年12月5日
  127. ^ 名和広のツイート 2014年12月5日
  128. ^ 名和広のツイート 2014年12月5日
  129. ^ 名和広のツイート 2014年12月5日
  130. ^ 名和広のツイート 2014年12月5日
  131. ^ 日刊動労千葉
  132. ^ 夜の赤塚不二夫 2021, p. 231.
  133. ^ 夜の赤塚不二夫 2021, p. 62-63.
  134. ^ 夜の赤塚不二夫 2021, p. 208.
  135. ^ 夜の赤塚不二夫 2021, p. 166.
  136. ^ 夜の赤塚不二夫 2021, p. 268-269.
  137. ^ コミックパーク特別企画〜赤塚ギャグの合奏者たち 第1回 五十嵐隆夫さん”. コミックパーク. 2006年1月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年6月13日閲覧。
  138. ^ 名和広『赤塚不二夫大先生を読む 「本気ふざけ」的解釈 Book1』p.290
  139. ^ 武居 2007, p. 244-245.
  140. ^ 赤塚不二夫が語っていた戦争と差別…終戦時の満州で助けてくれた中国人、日本に帰って受けたイジメと差別 - LITERA(2016年6月)
  141. ^ 番組エピソード 父と子の絆を描く【父の日ドラマ特集】 -NHKアーカイブス
  142. ^ 赤塚不二夫作品を310作以上解説、「バカボン」「おそ松」も原画で読めるBOXセット”. コミックナタリー. ナターシャ. 2021年11月1日閲覧。
  143. ^ 少女マンガ家としての赤塚不二夫の作品を選りすぐったアンソロジー”. コミックナタリー. ナターシャ. 2021年11月1日閲覧。


「赤塚不二夫」の続きの解説一覧



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「赤塚藤雄」の関連用語

赤塚藤雄のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



赤塚藤雄のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの赤塚不二夫 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS