財政担当側の状況
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/09 19:07 UTC 版)
「昭和三大馬鹿査定」の記事における「財政担当側の状況」の解説
大蔵省は、1980年(昭和55年)から、財政再建路線を進めていた。中曽根内閣時代に大蔵大臣であった竹下登は緊縮財政を「おしん路線」と呼び、「昭和65年度(平成2年度)赤字国債発行ゼロ」を掲げていた。そしてその達成は好調な税収に支えられて実現一歩手前まできていた。一方で竹下内閣で大蔵大臣についた宮澤喜一は財政再建路線を堅持しつつも内需拡大のために積極財政への転換を模索するという状況であった。しかし、大蔵省が危惧したのは「一時的な好調に浮かれて財政再建の手を緩めると、タガがはずれて過去の苦労も水の泡になる」、「(一度放漫財政になれば)いざというときは財政赤字に足を引っ張られて何もできない。過去に何度も味わった苦悩を繰り返すことになる」ということであった。 そのような状況下で12月23日に示された政府予算大蔵原案は、整備新幹線について「調整中」とし、実質ゼロ査定となった。この時の大蔵省が公共工事として整備新幹線の着工するために示した前提条件をまとめると、以下の3点である。 国の建設費九割負担は無理 JRの会計に減価償却費を積む 固定資産税の納付も行う
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