貝原東軒
貝原東軒
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/23 15:14 UTC 版)
貝原 東軒(かいばら とうけん、1652年(承応元年[1]) - 1714年2月10日(正徳3年12月26日[1]))は、江戸時代の女流書家、歌人。生家の苗字は江崎、名は初、字は得生。福岡藩の本草学者で儒学者でもあった貝原益軒の妻。
注釈
- ^ 婚姻に伴って妻が夫の姓を慣例的に名乗るようになるのは明治以降のことだが、当時の初(東軒)が夫の姓である「貝原」を名乗り、知られていることはとても珍しいとされている[6]。
- ^ 東軒が菜園で萵苣(日本で古くから栽培されていた、結球しないタイプのレタス。和え物、おひたし、汁物の実として食された)を摘んでいたところ、益軒が「萵苣(ちしゃ)とは誰が名付けたのだろう」と問いかけると、東軒は即座に「凡人の私は名前だけは知っていますけれどどうしたら(誰が名付けたか知ることができましょう)」と答えたというもので、この後、萵苣は味噌汁に入れられて食されたという。「ちしゃ=萵苣=知者」に対して「味噌汁の具=汁の身=知るのみ」と返している。
出典
- ^ a b c d 福岡県朝倉郡教育会 編『朝倉郡郷土人物誌』福岡県朝倉郡教育会、1926年、42頁。doi:10.11501/1020198 。
- ^ a b 西村天囚『九州の儒者たち 儒学の系譜を訪ねて』海鳥ブックス、1991年6月20日。
- ^ 福岡県女性史編纂委員会『光をかざす女たち』西日本新聞社、1993年4月。
- ^ 西日本シティ銀行 編『博多に強くなろう 北九州に強くなろう 100の物語 上巻』西日本新聞社、2018‐11-22、86頁。ISBN 978-4816709609。
- ^ 三浦末雄『物語秋月史 中巻』秋月郷土館、1968年8月15日、258頁。
- ^ 田中 敬『和漢書目録法』日本図書館協会、1939年1月1日、258頁。
- ^ “No.043 筑前の女性文化人展 | アーカイブズ | 福岡市博物館”. museum.city.fukuoka.jp. 2023年7月31日閲覧。
- ^ “館蔵名品で見る郷土の人と文化1-女性文化人の系譜- | アーカイブズ | 福岡市博物館”. museum.city.fukuoka.jp. 2023年7月31日閲覧。
- ^ 貝原益軒. 吉川弘文館. (1963-4-5). pp. 56-60. ISBN 4-642-05145-7
- ^ 西日本シティ銀行 編『博多に強くなろう 北九州に強くなろう 100の物語 上巻』西日本新聞社、2018‐11-22、86頁。ISBN 978-4816709609。
- ^ 『甘木市史 上巻』甘木市史編さん委員会、1982年、819-820頁。doi:10.11501/9574944 。
- ^ “金龍寺・貝原益軒の墓 | 文化財情報検索”. 福岡市の文化財. 2023年7月31日閲覧。
- ^ 三浦末雄『物語秋月史 中巻』秋月郷土館、1968年8月15日、259頁。
- ^ 『女流著作解題』女子学習院 編、1939年、547頁。doi:10.11501/9774584。
- ^ “[ID:191936] 貝原東軒書 : 資料情報 | 収蔵品データベース | 福岡市博物館”. 福岡市博物館 - 収蔵品データベース. 2023年7月31日閲覧。
- ^ 三浦末雄『物語秋月史中巻』秋月郷土館、1968年8月15日、259頁。
- ^ 高群逸枝『大日本女性人名辞書 増補』厚生閣、1939年、117頁。doi:10.11501/1879750 。
- ^ “役員紹介|学校法人昭和女子大学”. office.swu.ac.jp. 2023年7月30日閲覧。
- ^ 浮須婦紗『学苑 (407)』光葉会、1973年11月、64-85頁。doi:10.11501/3373420 。
- 貝原東軒のページへのリンク