豊岡だるまの製作
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帰郷した友五郎は郷里の上豊岡村でだるまの製造と販売を始めたといわれる。おおよそ文化・文政年間に帰郷して豊岡でのだるま製造を始めたと考えられている。モチーフとなったのは疱瘡除けとして江戸で販売されていただるまであった。当時、江戸では流行り病として疱瘡が蔓延しており、その疱瘡除けとしてのお守りとして江戸ではだるまが売られていた。友五郎はそれを参考に豊岡の地で独自のだるまの製造を始めた。高崎談図抄の版画に高崎田町の六斎市でだるまを販売している図柄のものがあり、当時の様子を伝えている。 友五郎は生涯だるまを作り続け、1862年9月2日(文久2年8月9日)に69歳でその生涯を終えた。常安寺(現・高崎市豊岡町)にある山縣家の墓に葬られている。戒名は是法軒招庵常成居士。
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