議論の萌芽
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/04 06:14 UTC 版)
幼稚産業保護論は、アメリカ合衆国財務長官であったアレクサンダー・ハミルトンによって、1790年に『製造業に関する報告書』で初めて提唱された。ハミルトンは、国内産業が成長するまで関税で産業を保護せずして国の工業化を達成することはできないと述べた。この考え方は、アメリカの政治経済学者ダニエル・レイモンド(英語版)によって最初に系統だった議論として整理された。そして、フリードリッヒ・リストによって彼の1841年の著書『政治経済学の国民的体系』で紹介された。リストは大英帝国が高関税と補助金で国内産業を保護しつつ、他国には自由貿易に従事するよう提言していることに批判的であった。リストは、「頂上にいる者にとって、はしごを外して登頂を邪魔することは簡単である」と述べている。 また、1940-50年代に提唱されたプレビッシュ=シンガー命題は幼稚産業保護論を正当化するものとして議論される。幼稚産業保護論を前提とした考え方は、輸入代替工業化政策を正当化する。
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