計画実施の結果
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/12 02:20 UTC 版)
本計画の推進によって帝国海軍の海軍力は従前の4倍以上に達する空前の大拡張を遂げ、イギリス、フランス、ロシア、イタリアに次ぎ、アメリカ合衆国とドイツを凌駕する世界第5位の大海軍国に躍進させるものであり、その実行により明治35年度にはイギリス、フランス、ロシアに次ぐ世界第4位の海軍力を持つこととなった。 特に注目すべきは6隻の巡洋艦であり、以下の特色がある。 約1万tと当時の巡洋艦としては大型。 攻撃力は主砲が8インチ4門、副砲6インチ14門(吾妻と八雲は12門)は、当時の戦艦主砲が12インチ4門であった他は全く同じであり、巡洋艦としては非常な重装備である。 諸事情からイギリス以外に発注する必要がありフランスで製造された吾妻とドイツで製造された八雲は副砲が6インチ12門でやや小型である他は、同一戦隊に編入して戦術運動を行なうため船形はもちろん兵装制式も共通とし、実際には同型艦に近い。 防御力は戦艦のハーヴェイ鋼鉄9インチに対し極端な差がないハーヴェイ鋼鉄7インチを施してある。 速力は20ノットで当時の戦艦の18ノットよりは速いが、イギリスやフランスの当時持っていたいわゆる装甲巡洋艦よりは低い。 旧式戦艦にも対抗でき、新式戦艦に対しては退避できる。このコンセプトは後の巡洋戦艦または高速戦艦と同じであり、日露戦争の結果を見てイギリスは巡洋戦艦を産み、また各国とも競って大型で重装備の装甲巡洋艦を建造することになった。
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