角界のヒール役として
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剣晃は平成の大横綱・貴乃花光司など、上位力士相手にも容赦ない張り手をかますなど闘志溢れる相撲が取り口で、自ら「ヒール」を公言していた。特に1993年3月場所での対浪乃花教天戦の張り手合戦は有名である。さらに大関の貴ノ浪貞博には幕内対戦成績が過去9勝9敗の五分で3回にわたり3連勝するなどと圧倒的に強く、「貴ノ浪の最大の天敵」とも言われていた。剣晃は差し身が上手く根は左四つだが、右四つでももろ差しでも相撲が取れて投げや吊り、寄りにも鋭さがあった。 大相撲の愛好家であるデーモン閣下・尾崎亜美からは、その悪役のイメージから「角界(土俵)のならず者」とも呼ばれていた。1997年1月場所後には、相撲雑誌の企画でデーモン閣下と剣晃の対談が実現し、その時に剣晃からデーモン閣下に直接「そのニックネーム(「角界のならず者」)を変えて欲しいんですがね…」と苦笑しつつ要望を申し入れていた(後日デーモン閣下は、剣晃の別のあだ名として「土俵の天然記念物」と名付けている)。一方で悪役イメージとは裏腹に母親思いで若い者からの人望はとても厚く、存命当時から在籍している若手の力士達は剣晃を目標にしている力士として挙げることが多かった。さらに高田川も剣晃の引退後には、部屋の後継者にすることを考えていたとされている。 剣晃は少しずつ番付を上げて、最高位の小結を2場所(1995年5月場所・同年9月場所)務めたほか、三賞は殊勲賞と敢闘賞を1回ずつ受賞している。特に1995年7月場所4日目の貴乃花戦などは、取組後に「顔を出してジッとしていたので、『あれっ、張っていいのかな』と思って張っただけだよ」と張り手を放ったことに対して答え、この取組に寄り切りで負けて貴乃花に睨まれると「チクショー。もう1回、やりたいのかよ」と睨み返した。また1993年3月場所に曙太郎が横綱に昇進してからは、同じ高田川部屋の鬼雷砲良蔵らと共に横綱土俵入りの露払い・太刀持ちをよく務めていた。なお1995年7月場所7日目には、その曙と対戦し送り出しで下して金星を獲得している。露払い・太刀持ちを担当する横綱との対戦が組まれた場合は、その日は担当から外れる事となるが、翌8日目に再び曙の太刀持ちを務める際の剣晃は、曙と顔を合わせた時お互いに気不味くなり言葉が出なかったという。
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