親鸞非実在論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 08:56 UTC 版)
村田勤は『史的批評・親鸞真伝』「第十二章 系圖上の大疑問」において、在世当時の朝廷や公家の記録にその名が記されていなかったこと、親鸞が自らについての記録を残さなかったことなどから、親鸞の存在を疑問視し、架空の人物とする説を提唱する。続いて東京帝国大学教授の田中義成と國學院大学教授の八代国治が「親鸞抹殺論」の談話を発表する。 しかし、大正10年(1921年)に鷲尾教導の調査によって西本願寺の宝物庫から、越後に住む親鸞の妻である恵信尼から京都で親鸞の身の回りの世話をした末娘の覚信尼に宛てた書状(「恵信尼消息」)10通が発見される。その内容と親鸞の動向が合致したため、実在したことが証明されている。
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