親鸞の入滅
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/31 06:26 UTC 版)
弘長2年(1262年 )11月28日(グレゴリオ暦換算 1263年1月16日)、親鸞は京都の押小路南、万里小路東(おしこうじみなみ、までのこうじひがし。現在の京都市中京区柳馬場通押小路下ル)の「善法院」において入滅する。享年90(満89歳)。 後に、覚如によって「宗祖」(「開祖」)に定められる。 翌29日午後8時に葬送。下野国高田の顕智、遠江国池田の専信なども上洛し参列。東山鳥辺野(とりべの)の南、「延仁寺」で荼毘にふす。 翌30日拾骨。鳥辺野の北「大谷」に墓所を築き納骨する。
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