本願寺の歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/05 01:50 UTC 版)
本願寺の歴史(ほんがんじのれきし)では、親鸞を宗祖とする浄土真宗の寺院である「本願寺」の歴史を、本願寺が東西に分立するまでの時期について述べる。
注釈
- ^ 弘長2年11月28日…西暦(ユリウス暦・グレゴリオ暦換算ともに)「1263年」になるが、弘長2年はまだ年を越していないので「1262年」と考える。 よって、文献の「親鸞の示寂」の年の西暦を、和暦に基づいて「1262年」と表記する場合と、新暦に基づいて「1263年」と表記する場合があるので注意が必要である。
- ^ 本願寺派・高田派などでは、明治5年11月の改暦(グレゴリオ暦〈新暦〉導入)に合わせて、生歿の日付を新暦に換算し、生誕日を5月21日に、命日を1月16日に改めた。
- ^ 吉水の北の辺…現在の東山区林下町 知恩院塔頭の「崇泰院」付近
- ^ 大網の草庵…大網の草庵は、後に寺格化され「願入寺」となる。
- ^ 大田壮一郎論文(2005年、P19-23)によれば、妙香院が正しいとされる。
- ^ 蓮如…大谷派では、「蓮」の字は「辶」(二点之繞)を用いて表記するのが正式であるため、「蓮如」と表記するのが正式である
- ^ 長島一向一揆において、信長は和睦成立後に、反故し一揆勢を虐殺した前例があるため。
- ^ 信長の目を逸らすための顕如の策略との説もある。
- ^ a b 教如の事。
- ^ a b c 顕如の事。
- ^ a b 准如の事。
- ^ 東本願寺は、昭和62年に「宗教法人 本願寺」を解散し、「宗教法人 真宗大谷派」に合併される。東本願寺の伽藍を「真宗本廟」と改称する。
出典
- ^ 参考文献…河野法雲・雲山龍珠 監修『真宗辞典』法藏館、新装版、P.605「如信」
- ^ 大田壮一郎「初期本願寺と天台門跡寺院」大阪真宗史研究会 編『真宗教団の構造と地域社会』(清文堂出版、2005年) ISBN 4-7924-0589-0 p11-40
- ^ 太田光俊「本願寺〈門跡成〉と〈准門跡〉本願寺」永村眞 編『中世の門跡と公武権力』(戎光祥出版、2017年) ISBN 978-4-86403-251-3
- ^ 阿部能久 『戦国期関東公方の研究』 思文閣、2006年 、第三章第三節「関東公方と一向一揆」
- ^ 上場顕雄『教如上人-その生涯と事績-』東本願寺出版部
Weblioに収録されているすべての辞書から本願寺の歴史を検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。
全ての辞書から本願寺の歴史 を検索
- 本願寺の歴史のページへのリンク