西国写し霊場
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 14:46 UTC 版)
西国霊場巡礼が盛んになると、地方の大名などが自分の居住する周辺に西国霊場を勧請して新たな観音巡礼を作るようになった。これを「西国写し霊場」という。最も早期の西国写し霊場は源頼朝創建と伝える坂東三十三観音であるが、これは鎌倉時代の天福2年(1234年)以前には既にあったという確実な史料があり、かなり古いものである。室町時代になると秩父に秩父三十四箇所も創建され、西国・坂東・秩父を合わせて「百観音」というようになり、百観音巡礼をする修験者なども増加した。
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