製鋼事業の譲渡
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大戦中は好業績を挙げていた電気製鋼所であったが、大戦終結後、特に1920年3月の戦後恐慌発生以降はフェロアロイ部門が極度の不振に陥り、市況の悪化とともに工場に在庫が累積していった。従って専門工場の木曽福島工場は操短を余儀なくされ、1922年(大正11年)6月20日には、熱田工場への生産集約に伴って一時閉鎖措置が採られた。余剰電力については大同電力へ売電することとなった。 戦後恐慌に加えて戦後の軍縮による軍需縮小も会社の先行きに関する懸念事項として浮上した。このためワシントン海軍軍縮条約締結を機に電気製鋼所と大同電力の鋳鋼部門が独立した大同製鋼(初代、社長は電気製鋼所と同じく福澤桃介)の統合構想が持ち上がり、1922年7月1日に両社の間で統合契約が成立した。統合方法は合併によらず電気製鋼所の製鋼事業のみを大同製鋼へ移管するというもので、電気製鋼所は熱田・木曽福島両工場と関連会社の株式、あわせて150万円を大同製鋼へ現物出資し、その対価と優先株への応募(10万円分)によって大同製鋼の株式を取得することとなった。7月26日に株主総会にて上記契約が承認され、現物出資の登記が完了した9月15日付で電気製鋼所は「木曽川電力株式会社」へ改称した。 この操作によって木曽川電力は、経営陣そのままに旧電気製鋼所の第一・第二発電所と旧福島電気の電灯・電力供給事業を持つ電気事業者として新発足した。また初代大同製鋼改め大同電気製鋼所(後の2代目大同製鋼、現・大同特殊鋼)の株式3万2000株を持つ大株主にもなった。
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