蜀素帖
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『蜀素帖』(しょくそじょう)は、元祐3年(1088年、38歳)の行書。蜀(四川省)で織られた素(絹)の巻物に書いてあるのでこの名がある。烏絲欄(うしらん、縦・横の界線)を織り込んだ絹本。絹目の効果によって潤渇が精彩を放って変化に富む。珍しい材質でしかも織り目が粗いため、かなり書きにくかったことと思われるが、六朝の筆意で米芾の本領を遺憾なく発揮し、中年期における代表作と評される。 本帖は元祐3年(1088年)9月、湖州の知事であった林希(りんき)に招かれ、湖州の地で林希の求めに応じて揮毫したものである。内容は米芾自作の詩8首を71行に書いている。8首の題名は以下のとおり。 擬古(五言古詩)2首 呉江垂虹亭作(七言絶句)2首 入境寄集賢林舎人(七言律詩)1首 重九会郡楼(七言律詩)1首 和林公峴山之作(五言古詩)1首 送王渙之彦舟(七言古詩)1首 最後に「元祐戊辰九月廿三日溪堂米黻記」の款記がある。明の沈周・顧従義・祝允明・董其昌らの題跋、文徴明の識語があり、本帖の人気ぶりを彷彿とさせている。董其昌の跋文は本幅と同じ絹上に書かれているが、米芾の前では一段劣って見える。 巻後の蜀素の末尾に林希が熙寧元年(1068年)に書いた題跋があり、「慶暦甲申に東川で造ったこの蜀素1巻は、我が家に20余年蔵している。(後略)」と記されている。これによると、慶暦4年(1044年)にこの絹本が織られたとあるので、その44年後に米芾が揮毫したことになる。真跡は台北・国立故宮博物院に蔵されており、『戯鴻堂帖』・『三希堂法帖』にも刻されている。27.8×270.8cm(全文は中文を参照)。
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