蘭の育種
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 04:41 UTC 版)
蘭の育種家としても有名で、多くの交配種をサンダーズリストへ登録しており、代表的なものに「カトレア・シラユキ」やデンドロビュームの「インドヨー」などの名花の名があげられる。戦前は、帝国愛蘭会最後の会長で、2度、英国へ大使館付き武官として赴任した際は、英国王立園芸協会(RHS)の例会へも会員として出席している。1944年(昭和19年)には、忠重を初代会長とする社団法人園芸文化協会が設立されている。また、戦後には、忠重を会長として全日本蘭協会(AJOS)が発足している。島津賞(Tadashige Shimadzu Prize)は、最も優れた出品花に授与されるAJOS最高の賞である。 一方、旭硝子創業者岩崎俊弥との蘭を通じての交流も有名である。岩崎は、あるバンダ交配種を作出したが、サンダーズリスト登録前に亡くなった。忠重は岩崎を偲んでこの交配種名を「メモリア・T・イワサキ」と命名し、サンダーズリストへ登録したというエピソードがある。 また、忠重の四男である柳沢斉徳は大学で朝顔の品種改良に取り組み、二日咲き朝顔や匂い朝顔の研究に力を注いだという。
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