藤之寺とは? わかりやすく解説

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藤之寺

読み方:フジノジ(fujinoji)

宗派 浄土宗

所在 兵庫県神戸市兵庫区

本尊 阿弥陀如来

寺院名辞典では1989年7月時点の情報を掲載しています。

藤之寺

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/28 01:01 UTC 版)

藤之寺
所在地

兵庫県神戸市兵庫区兵庫町1-3-6

北緯34度40分20.2秒 東経135度10分25.7秒 / 北緯34.672278度 東経135.173806度 / 34.672278; 135.173806
山号 紫雲山
院号 迎接院(旧称)
西光院(旧称)
宗派 浄土宗
本尊 阿弥陀如来
別称 西光寺
藤の寺
札所等 福原西国三十三観音霊場第4番札所
法人番号 9140005000444
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藤之寺(ふじのてら)は、兵庫県神戸市兵庫区兵庫町にある浄土宗の仏教寺院

歴史

寺伝によると、もとは北風家佐比江神功皇后から賜った御手形を御霊として主神に、相殿に春日明神を祀る社を建立し、奉仕する社僧のいた真言宗西光院であった。のちに浄土宗西光寺と改めた。

北風家の菩提寺であり、当寺は北風家が改姓前の白藤と称する頃の宅地であった。堂の前に紫藤を植えたことにより俗に「藤の寺」と呼ばれた[1]

  • 兵庫津元禄5年(1692年)の「寺社改帳」では、文安4年(1447年)音誉勢観上人の開基とし、迎接院藤の寺といったとある。「迎接がうせふ吾郞切中国語版)、がうせつ(慣用音)、ぎゃうせふ(呉音)、ぎゃうせつ(慣用音)、げいせふ漢音)、げいせつ(慣用音))」と、送迎接待の意味の漢語・仏教語。
  • 延宝の記録では、慶長19年(1614年片桐且元の除地証文を得て西光寺と称したとあり、本寺のほかに子坊が7つもあったが、のち退転して本寺だけとなる。
  • 明治元年(1868年)一時廃寺となる[2]
  • 明治2年(1869年)7月に再興を許されて藤之寺と改める。
  • 昭和20年(1945年)3月の神戸大空襲で全焼。
  • 昭和30年(1955年)望月信成上人が本堂を再建[3]
  • 昭和59年(1984年)英成上人が庫裏を再建。[1]

以前は明治20年ごろ開山上人を記念して植えた「園の藤」という名高い藤の木があり、明治時代には毎年来迎会が行なわれ、二十五菩薩の行列には信者がにぎわった。

交通アクセス

出典

  1. ^ a b 藤之寺について”. 神戸市兵庫区のペット霊園:オリーブツリーペットセメタリー. 2019年8月25日閲覧。
  2. ^ 神戸市教育委員会『神戸の史跡』神戸新聞出版センター、1981年。 NCID BN0108220X 
  3. ^ 福原西國霊場会事務局『福原西國霊場寳印帳』福原西國霊場会、1989年。 NCID BA64500550 


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