荒川と「忘川」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 21:14 UTC 版)
文化11年(1814年)に成立した甲斐国の総合地誌である『甲斐国志』古跡部第七によれば、「荒川」の川名の由来について「荒ノ言ハ暴ナリ其ノ水暴流スルヨリ起リシ名ナルベシ」と記している。また、『甲斐国志』では『夫木和歌抄』などを引用して、壬生忠岑ら平安時代の和歌には甲斐国の歌枕として「忘川」を詠んだ歌を紹介している。ところが、甲斐において「忘川」と呼ばれる川は存在しないため、「忘川」が指す河川については諸説ある。この問題について、宝永3年(1706年)の荻生徂徠『峡中紀行』では「忘川」は「荒川」を指し、「忘」は「荒」の草書が似ている点を指摘した。また、安政7年(1860年)の加賀美遠清『甲陽随筆』では御勅使川に比定されるとした。 これに対し、『甲斐国志』では徂徠説・加賀美遠清説を退け、地元では川の名を口にしているので草書が似ていても川の名を変えることはありえないと指摘し、「忘川」の比定については現在では河川の枯渇や流路変更により不明であるとしている。
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