花熟里の成立と中世
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/13 09:09 UTC 版)
花熟里という地名は鎌倉期より見え、薩摩国伊作庄(荘)のうちの名田名であった。花熟里は華熟里とも書かれた。 徳治3年の権執印妙慶申状には「伊作庄内花熟里地頭代津野弥次郎左衛門尉」とあり、この申状は名主方に付されていた犬王童を花熟里の地頭代が理不尽に取り押さえしたものとして訴えたものである。建徳2年には伊作親忠が村内の水田二町五反を伊作十忠に譲っている。
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