花山院兼子とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 花山院兼子の意味・解説 

花山院兼子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/02 16:32 UTC 版)

花山院 兼子(かさんのいん かねこ、文安5年〈1448年〉 - 永正10年8月17日1513年9月16日〉)は、室町時代中期の女官で、後土御門天皇宮人。贈太政大臣花山院持忠の娘で、政長の姉に当たる。東御方花山院上臈局と称した。

生涯

文安5年(1448年花山院持忠の娘[1]として生まれた。足利義政の正室である日野富子に仕えた後、親王時代の後土御門天皇の寵愛を受けて宮中に上った。天皇との間には2皇女(保安寺宮・応善女王)と2皇子(仁尊法親王・法蓮院宮)を儲ける。初め東御方と呼ばれたが、文明11年(1479年)12月に今参の儀を行い[2]、正式に宮中に伺候する上臈となった。天皇が崩御した後の明応9年(1500年)10月13日に出家。間もなく従三位から従二位に叙され[3]、以後二位殿二位禅尼と称した。 永正10年(1513年)8月17日に享年66で薨去した[4]

脚注

  1. ^ 親長卿記』文明5年10月22日条など。
  2. ^ 御湯殿上日記』文明11年12月5日条。
  3. ^ 『和長卿記』明応9年11月2日条。
  4. ^ 実隆公記』同日条。



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  花山院兼子のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「花山院兼子」の関連用語

花山院兼子のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



花山院兼子のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの花山院兼子 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS