聖人エドワード
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/30 00:32 UTC 版)
エドワード懺悔王の信仰心は、1045年から1050年にテムズ河上流に基礎を造られたウェストミンスター寺院によってもうかがい知ることができる。ヘンリー3世以後、イングランド王はエドワードが建てた聖堂で戴冠され、代々の王たちはエドワード懺悔王の法を守ることを誓うこととなった(ヘンリーの王子エドワード1世は懺悔王にちなんで命名されたという)。しかし実際のところ、懺悔王自身のものと考えられる法は一つも存在しない。 エドワード懺悔王はノルマン・コンクエスト以前の最後の王として「自由なイングランド」に普及していたとされる法を象徴する人物として、年代記において理想化され伝説となった。死から95年後の1161年に列聖された。
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