義就の出自
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/15 03:52 UTC 版)
義就の母は、義就のほか、小笠原長将との間に持長を、飛騨江馬氏との間にも子をもうけている。また『東寺過去帳』には義就は皮屋の子であり、東寺の僧祐栄とは従兄弟であるとしている。これらのことから当時、義就の母は様々な異性と関係をもつ類の女性であり、持国の実子ではないとの説があったことが窺える。『大乗院寺社雑事記』には、「義就の元で暮らす桂女(遊女のこと)」の記述があり、一族の略系図が添えられている。それに拠れば、「土用」という名の女に「畠山之桂也」と書かれており、文明12年当時70歳であることが知られる。従って、義就は「土用」27歳の時の子である可能性が高いとする研究がある。 こうした事情により、義就は嫡子とはされず、石清水八幡宮の社僧になるはずであったが、12歳の時に俄に父持国に召し出されたことから、元々継嗣と決まっていた叔父持富とその子弥三郎・政長兄弟らとの家督争いが勃発することになる。
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