結婚と自殺
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/11 09:04 UTC 版)
「ウォーレス・カロザース」の記事における「結婚と自殺」の解説
1934年から付き合っていたヘレン・スイートマンと1936年2月21日に結婚。スイートマンは化学の修士号を持っており、デュポンにて特許出願を扱う仕事に就いていた。 その直後の1936年4月30日、産業界の化学者として初めてアメリカ科学アカデミーの会員に選ばれた。科学への貢献が認められた栄誉だったが、同年6月になってもカロザースはうつの症状に悩まされ続けていた。6月初め、不本意ながら主治医ケネス・アッペルのいるフィラデルフィアの有名な精神科の病院に入院。一カ月後、チロリアンアルプスに友人と共にハイキングに行くことを許された。計画では、ロジャー・アダムズとジョン・フラックと共に2週間のハイキングに行く予定だった。2週間後、2人が帰ったあともカロザースは妻にも何も連絡せず、アルプスに残ってハイキングを続けた。そして9月14日、職場にいる妻の前に突然現れた。それ以降、会社側はカロザースが仕事を続けることは無理だと判断した。それでも彼は職場にしばしば顔をだした。そして妻とアッペル博士はカロザースを監視し続けることは無理だということで合意し、カロザースは再び Whiskey Acres に住みはじめた。 1937年1月8日、妹イゾベルが肺炎で死去。カロザース夫妻はシカゴでの葬儀に参列し、デモインでの埋葬にも参列した。その後もフィラデルフィアのアッペル博士のところに通っていたが、博士はカロザースの友人に「カロザースが自殺しそうだ」と告げている。 1937年4月28日、カロザースは職場に顔を出した。翌29日にフィラデルフィアのホテルの一室で青酸カリをレモンジュースに混ぜて飲み死亡。化学者であるカロザースは酸性溶液が青酸の毒性を強めることを知っていた。遺書は見つかっていない。
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