紀の川開発史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/13 04:40 UTC 版)
日本有数の多雨地帯である大台ヶ原を水源とする紀の川は、夏季(6月~9月)に集中する降雨分布を示す。従って梅雨時期や台風の際には容易に氾濫を繰り返す河川であった。河口の沖積平野である和歌山平野では河道が度々変遷する状況であったが、豊富な水量は慢性的な水不足にあえぐ奈良盆地の人間にとって魅力的であった。 1400年代の地震・津波によって砂丘が破壊されたことにより、紀の川は和歌浦へ注いでいた河道から現在の紀伊水道へ注ぐ河道に変わった。なお、和歌浦へ注いでいた旧河道は和歌川として残っている。ただし近年では、和歌川の横断面に河床跡の砂礫が認められないことから、かつて和歌浦に注いだとする復元説には否定的な説が挙げられている。
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