箱根関所の設置
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 16:22 UTC 版)
後北条氏滅亡後、関東には徳川家康が入り、後に江戸幕府を開いた。幕府は須雲川沿いに新道(「箱根八里」)を設置してこれを東海道の本道として整備して、箱根神社の側に関所を設置したが、地元(元箱根)住民との対立を惹き起こした。そのため箱根峠寄りに人工の町である「箱根宿」を、元箱根側の芦ノ湖畔に箱根関所を設置した。 箱根関所は一時期を除いては原則的には、相模国足柄下郡及び箱根山を挟んで接する駿河国駿東郡を支配する譜代の大藩小田原藩が実際の管理運営を行っていた。東海道は江戸と京都・大坂の三都間を結ぶ最重要交通路とされた。
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