第5の哨戒 1944年9月 - 11月・摩耶撃沈とは? わかりやすく解説

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第5の哨戒 1944年9月 - 11月・摩耶撃沈

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/20 18:32 UTC 版)

デイス (潜水艦)」の記事における「第5の哨戒 1944年9月 - 11月・摩耶撃沈」の解説

9月1日デイス5回目哨戒ダーターとともにセレベス海パラワン水道南沙諸島および南シナ海方面向かったデイスダーター両艦は9月10日ダーウィン入港し給油した後、パラワン島バラバク海峡方面進出この方面に敷設されている機雷注意払いながら哨戒したが、ジャイロコンパス故障により哨戒一時中止9月27日ダーターとともにミオス・ウンディ島到着し10月3日まで整備訓練を受ける。哨戒再開後はボルネオ北岸沖に針路向けた10月13日午前デイスは7隻の輸送船からなる輸送船団、ミ19船団発見丸一日かけて追跡ののち、翌10月14日未明いたって艦首艦尾発射管から魚雷を計10発射し魚雷応急タンカー日鉄丸(日産汽船、5,993トン)、輸送船永享丸(日本郵船、6,948トン)および大善丸(大阪商船、5,396トン)に命中日鉄丸が沈没して永享丸は1本が命中して大破しラブアン島ビクトリア港に曳航されていった大善丸は右舷船首に1本が命中したが、ラブアン島回航され仮修理行った10月19日にも、北緯0855東経11648分 / 北緯8.917度 東経116.800度 / 8.917; 116.800の地点で「吹雪型駆逐艦に対して魚雷を4本発射したが、命中しなかった。ダーター相前後して同じ目標攻撃していたが、結果デイス同じだったその後、2隻はパラワン水道移動した

※この「第5の哨戒 1944年9月 - 11月・摩耶撃沈」の解説は、「デイス (潜水艦)」の解説の一部です。
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