第3次コアビタシオン以降
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/30 17:10 UTC 版)
「社会党 (フランス)」の記事における「第3次コアビタシオン以降」の解説
1995年フランス大統領選挙でシラクにジョスパンが敗北して下野したが、日程を繰り上げて行なわれた1997年6月の国民議会総選挙では、選挙前の予想に反して第一党となり、共産党・緑の党などと共に左翼連合政権を発足させ、リオネル・ジョスパンが首相に就任した(第三次コアビタシオン)。しかし2002年フランス大統領選挙と6月の国民議会総選挙と連敗して下野した。ジョスパンが引退して彼に続くリーダーが不在であるが、2004年の欧州議会選挙及び地方選挙で大勝し、党勢は回復した。フランソワ・オランド党首の事実婚の妻セゴレーヌ・ロワイヤルは2006年4月7日、2007年フランス大統領選挙への事実上のキャンペーンを開始。11月の党員投票により、同党の大統領候補に決定した。しかし2007年フランス大統領選挙ではニコラ・サルコジに得票比47対53で敗北した。サルコジ新大統領によるフィヨン内閣組閣でクシュネルが外務大臣として入閣するなど、党員や支持者中の有力者でサルコジに与する者も現れた。 2007年国民議会議員選挙(6月10日、17日投票)では46議席増の186議席を獲得したものの、選挙後にオランドとロワイヤルが事実婚の解消を発表し、引き続き党勢は混沌とした。2008年3月の地方選挙では支持を伸ばす。 2008年11月に行われた党首選挙では、左派でリール市長のマルティーヌ・オブリーが立候補し、その結果ロワイヤルは敗北する。その後、集計作業をめぐり双方が対立し、党員の中にはその混乱ぶりに呆れて離党希望者が続出した。再集計により、オブリ陣営の勝利が確定。 2010年3月に行われた地方選においては、国民運動連合を中心とする右派の得票率36%に対し、社会党を中心とする左派連合が54%もの得票率をあげ、コルシカ島を含む本国の22の地域圏の内、21地域圏を制するという地滑り的な圧勝を遂げた。
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