第20代大統領
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「カルロス・イバニェス・デル・カンポ」の記事における「第20代大統領」の解説
第20代大統領の座についたイバニェスは独裁的な体制を敷き、上院下院問わず議会中の政敵を逮捕あるいは国外追放した。この中には空軍総司令官となっていたかつての盟友グローブも含まれていた。イバニェスの支持はアメリカの銀行による多大な融資に支えられていた。この融資により、チリの成長率は大きく上昇した。同時に多くの公共事業を行い、公共支出を増やした。 1927年、地方警察、検察、クエルポ・デ・カラビネーロスをチリ中央政府の元に統一し、新たな警察軍としてカラビネーロス・デ・チレを設立。自ら初代長官を務めた。 そのほか、イバニェスの最初の統治における大きな業績としては1929年のリマ協定(スペイン語版)調印があげられる。この協定はチリが太平洋戦争中に占領したタクナ県をペルーへ返還することに同意したものだった。 1929年、世界恐慌が訪れると、イバニェスの人気に陰りが見え始める。ウォール街の冷え込みに伴いイバニェスが頼り切っていたアメリカからの融資は停止し、チリの経済は瓦解した。かつて成長率を支えた公共支出は状況を悪化させるばかりのものとなり、政界から追放されていたグローブやアレッサンドリといった反イバニェス勢力はこれを機に再び国民の支持を集め始めた。 社会に大きな不安の波が押し寄せる中、イバニェスは大統領職をペドロ・オパソ・レテリエル(スペイン語版)国会議長に委任し、1931年7月26日には亡命のためにアメリカへと出国した。形式的に臨時大統領となったオパソは憲法に則り、フアン・エステバン・モンテーロ(スペイン語版)内務大臣を新たな大統領として指名した。
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