第二号掃海艇
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第二号掃海艇(だいにごうそうかいてい)は、日本海軍の掃海艇。第一号型掃海艇の2番艦。
- ^ a b c d e f g h i j k 『写真日本海軍全艦艇史』資料篇「主要艦艇艦歴表」28頁。
- ^ 『昭和造船史』、『日本補助艦艇物語』による。『写真 日本の軍艦 第13巻』p226-227の表によると3基。
- ^ 『昭和造船史』、『日本補助艦艇物語』による。『写真 日本の軍艦 第13巻』p226-227の表によると91名。
- ^ 『写真 日本の軍艦 第13巻』による。一方『昭和造船史』、『日本補助艦艇物語』には爆雷の記載はない。
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- ^ a b 「海軍辞令公報(部内限)第555号 昭和15年11月15日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072079500
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- 1 第二号掃海艇とは
- 2 第二号掃海艇の概要
- 3 参考文献
第二号掃海艇
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/01/19 14:01 UTC 版)
詳細は「第二号掃海艇」を参照 1923年6月30日竣工(三井造船)。竣工時艇名は「第二掃海艇」。1924年4月24日、「第二号掃海艇」に改称。1942年3月1日バタビア沖海戦で味方魚雷が命中し沈没(パンジャム島)。
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