第三次連合政府
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/27 21:33 UTC 版)
1973年1月、パリでアメリカと北ベトナム間で和平協定が成立すると、プーマと右派政府軍もパテート・ラーオとの交渉を余儀なくされた。同年2月21日、「ラオスにおける平和回復と民族和合の達成に関する協定」で合意し、同協定に基づき1974年4月5日、プーマを首相とする臨時連合政府(第3次連合政府)が樹立された。 1975年4月、プノンペンとサイゴンが左派勢力の手により陥落した事を背景に、パテート・ラーオは権力掌握に取り掛かった。8月26日、ラオス人民解放軍がヴィエンチャンを制圧。11月28日、暫定連合政府は総辞職した。
※この「第三次連合政府」の解説は、「スワンナ・プーマ」の解説の一部です。
「第三次連合政府」を含む「スワンナ・プーマ」の記事については、「スワンナ・プーマ」の概要を参照ください。
- 第三次連合政府のページへのリンク