第三次ソールズベリー内閣・バルフォア内閣植民地相
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「ジョゼフ・チェンバレン」の記事における「第三次ソールズベリー内閣・バルフォア内閣植民地相」の解説
1892年6月末の解散総選挙(英語版)に保守党と自由統一党が敗れた結果、一時的に自由党に政権を奪還されたが、1895年6月には保守党が政権を再奪還し、第三次ソールズベリー侯爵内閣(英語版)が発足した。内閣はすぐに解散総選挙(英語版)に打って出て勝利し、保守党と自由統一党が合同して「保守統一党」政権が発足した。ただしこの時点では完全な合同ではなく、自由統一党は引き続き独自の組織と資金で運営された(チェンバレンも保守党員にはなっていない)。 この内閣にチェンバレンは自ら希望して植民地大臣として入閣することになった。内閣は事実上ソールズベリー侯爵とチェンバレンの二人首相体制であったため、「両頭政治(Two-headed administration)」とも呼ばれる。 チェンバレンは「私は第一に大英帝国、第二にイギリス民族を信じる。イギリス民族こそが世界で最も偉大な支配民族であると確信している。これは空虚な誇りではない。現に我らが広大な領土を統治していることで実証されていることだ。」(1895年11月の帝国協会での演説)と宣言して積極的な帝国主義政策に乗り出した。
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