竹中定矩
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竹中 定矩(たけなか さだのり、元禄2年(1689年)[1] - 宝暦5年2月6日(1755年3月18日))は、江戸幕府の旗本。官位は従五位下・周防守。初名は重教。通称は寅吉、主水。鷹司松平家の祖である松平信平の二男。竹中重富の娘を妻とし、婿養子となった。妻の妹は谷衛尚に嫁いだ。子に定弘、天野正興室、小笠原長民室、大澤定良室(離婚後、浄岸院に仕えた)、定胤、伊勢貞敦(伊勢貞丈の養子)、山岡景満(山岡景明の養子)、本多信充室がいる。なお、定矩の竹中家は豊臣秀吉の家臣として知られる竹中半兵衛重治の分家筋にあたる。
- ^ 「明治二十六年正月 吉井藩主系図」(『群馬県史 資料編9(近世1 西毛地域1)』(群馬県、1977年)p.173)では貞享4年(1687年)3月15日生まれとされる。
- ^ “徳川実紀. 第六編、P.57 - 国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2020年11月19日閲覧。
- ^ “徳川実紀. 第六編、P.533 - 国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2020年11月19日閲覧。
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