競馬への功績
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 08:21 UTC 版)
安田は「日本競馬の父」「日本ダービーの生みの親」と呼ばれる。 陸軍騎兵大尉として中央馬廠戸山厩舎長であった1904年、競馬会設立の議に加わる。 1908年に馬券の発売が禁止されると、馬券発売を合法化すべく旧競馬法の制定に奔走した。 1936年の競馬倶楽部統合、日本競馬会創設に関与。同会初代理事長松平頼寿の退任を受け、第2代理事長を勤めた。 在任中は、日本競馬のレベルアップを図るべくさまざまな改革に着手。イギリスを範としてレースの体系を整備し、日本ダービー(東京優駿大競走)をはじめとするクラシックレース五大競走の原形を作った。 1954年に日本中央競馬会が設立されると、同郷の大野伴睦の要請を受け、初代理事長に就任した。翌1955年に理事長を有馬頼寧に要請し、同会顧問となった。 1951年に安田の業績を称え、日本競馬史上初の古馬マイル重賞「安田賞」が誕生。1958年に安田が死去した後、同レースは安田記念と改称され、現在は春季の芝マイル部門チャンピオンホース決定戦として開催されている。なお、2022年は安田の生誕150年にあたることから、『安田伊左衛門生誕150周年記念』の副題を付して開催。
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