神社覈録
神社覈録
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/21 19:33 UTC 版)
江戸時代の神職である鈴鹿連胤は、古社について研究し『神社覈録』を著した。そのなかで、延喜式神名帳の「比奈多乃神社」について「祭神在所等詳ならず」と述べており、後裔の神社は既に詳細不明となってしまったとしている。そのうえで「掛川驛ノ正南三里餘越テ、髙天神ト云フ髙山アリ、山上ニ祠アリコレナルベシ」として、高天神山の山頂に鎮座する高天神社に比定する説を紹介している。その根拠として「此山ノ麓ニ日向谷ト云フ山里アルヲモテ知ル也」として、落合村の日向ヶ谷が高天神山の山麓に位置している点を挙げている。その一方で、連胤は地元の国学者である栗田土満の説についても紹介している。それによると、土満は「土方鄕ノ內日向谷ト云處ニ寺アリ、鎭守ノ小社アリ、コレニヤ」としており、日向ヶ谷にある華嚴院の鎮守社である比奈多乃神社に比定する説を提唱している。 なお、高天神社は静岡県掛川市上土方嶺向に鎮座しており、掛川市上土方落合の比奈多乃神社とは目と鼻の先に位置している。上土方嶺向と上土方落合とは隣同士の大字であり、双方ともかつて浜松県城東郡上土方村に属していたことからもわかるように、同じ生活圏内に含まれている。ただし、上土方落合の比奈多乃神社は日向ヶ谷の氏神であり、上土方落合の日向ヶ谷に立地している。それに対して、高天神社は日向ヶ谷に立地しているわけではなく、あくまで日向ヶ谷の近隣に位置する神社である。
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