神社覈録とは? わかりやすく解説

神社覈録

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/15 07:57 UTC 版)

神社覈録』(じんじゃかくろく)は式内社を始めとする古社を考証した書物である。鈴鹿連胤著、全75巻。天保7年(1836年)に起稿され、明治3年(1870年)に完成した。


  1. ^ 中臣朝臣連胤撰「標目」鈴鹿義鯨著作、井上賴囶佐伯有義校訂『神社覈録』上編、皇典講究所、1902年、1頁。
  2. ^ 中臣朝臣連胤撰「遠江國」鈴鹿義鯨著作、井上賴囶佐伯有義校訂『神社覈録』上編、皇典講究所、1902年、836頁。


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神社覈録

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/21 19:33 UTC 版)

比奈多乃神社」の記事における「神社覈録」の解説

江戸時代神職である鈴鹿連胤は、古社について研究し『神社覈録』を著したそのなかで延喜式神名帳の「比奈多乃神社」について「祭神在所等詳ならず」と述べており、後裔神社は既に詳細不明となってしまったとしている。そのうえで掛川驛ノ正南三里餘越テ、髙天神ト云フ髙山アリ山上ニ祠アリコレナルベシ」として、高天神山山頂鎮座する高天神社比定する説を紹介している。その根拠として「此山ノ麓ニ日向谷ト云フ山里アルヲモテ知ル也」として、落合村日向ヶ谷が高天神山山麓位置している点を挙げている。その一方で、連胤は地元国学者である栗田土満の説についても紹介している。それによると、土満は「土方鄕內日向谷ト云處ニ寺アリ鎭守ノ小社アリコレニヤ」としており、日向ヶ谷にある華嚴院鎮守社である比奈多乃神社比定する説を提唱している。 なお、高天神社静岡県掛川市上土方嶺向鎮座しており、掛川市上土方落合比奈多乃神社とは目と鼻の先位置している。上土方嶺向上土方落合とは隣同士大字であり、双方ともかつて浜松県城東郡上土方村属していたことからもわかるように、同じ生活圏内に含まれている。ただし、上土方落合比奈多乃神社日向ヶ谷の氏神であり、上土方落合日向ヶ谷に立地している。それに対して高天神社日向ヶ谷に立地しているわけではなく、あくまで日向ヶ谷の近隣位置する神社である。

※この「神社覈録」の解説は、「比奈多乃神社」の解説の一部です。
「神社覈録」を含む「比奈多乃神社」の記事については、「比奈多乃神社」の概要を参照ください。

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