礫群
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/10 13:53 UTC 版)
礫群(れきぐん、䃯群)は、日本列島の後期旧石器時代、とくにその後半期によく見られる遺構、または遺物の出土状態である。こぶし大程度の礫(かわら石)とその破片がまとまって分布している状態で、多くの場合礫は被熱して赤化・黒色付着物などの表面変化が認められ、破片は被熱破砕によるものが多い。加熱した礫で調理対象を覆う、蒸し焼き調理の痕跡と考えられている[1]。なお縄文時代にも、同一形態の調理跡とみられる礫群遺構が存在するが、こちらは「集石(または集石遺構)」と呼び別けられている[2][3]。
- ^ 小金井市史編さん委員会 2019, pp. 109.
- ^ 筑後市郷土資料館-筑後遺跡探検-遺跡の用語集(筑後市)
- ^ 記念物-県指定史跡-横峯遺跡(鹿児島県)
- ^ 自由学園南遺跡調査団 1991.
- ^ 南葛野遺跡発掘調査団 1995.
- ^ 相模原市教育委員会 2009.
- ^ 戸羽 2013.
- ^ 鈴木 2010.
- ^ 鈴木 & 恩田 1996.
- ^ 長泉町教育委員会 1986.
- ^ 中村 2008.
- ^ 休場遺跡 - 静岡県 沼津市
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