石渡こと
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石渡 こと(いしわたり こと、1874年 - 1947年)は日本の看護婦。1902年より、東京市養育院の光田健輔のハンセン病特別病室「回春病室」の看護婦となり、その後、全生病院で総婦長を勤め、光田や若い医師、看護婦をよく補佐、指導した。日本のハンセン病院における看護婦の草分けで、他の園の看護婦の指導も行った。
- ^ 桜井[1974:366-367]
- ^ 内田守 『光田健輔』吉川弘文館 1971
- ^ 『回春病室』 光田健輔 朝日新聞社, p11, 1950
- ^ 光田健輔 『回春病室』 朝日新聞社、p16, 1950
- ^ 多磨全生園患者自治会[1979:32]
- ^ 河野和子、外口玉子編『らい看護から』(日本看護協会出版会、1980年) 205頁
- ^ 桜井[1974:375-376]
- ^ 光田健輔 『回春病室 』朝日新聞社、p13, 1950
- ^ 林芳信『回顧50年』(林芳信先生遺稿記念出版会、1979年)
- ^ 『神山復生病院120年の歩み』(神山復生病院 復生記念館、2009年)
- ^ 土谷勉編『天の墓標 林文雄句文集』(新教出版社、1978年)
- ^ 光田健輔 『回春病室』朝日新聞社 の中のらい医学ノート 内田守 p220, 1950
- 1 石渡こととは
- 2 石渡ことの概要
石渡こと
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「ハンセン病に関連した人物」の記事における「石渡こと」の解説
石渡こと(1874-1947)東京市で出生。1902年より光田健輔の「回春病室」の看護婦。光田をよく補助した。1909年全生病院首席看護婦、1924年初代看護婦長。全生病院では、 風呂場外科、という言葉もある。石渡婦長は、光田健輔と相談して、船のようなものに下に車がついていて、寝ながら入浴できるものを風呂場に持ち込んできてそれに患者を入れて体を洗ったという。 1936年退職。1947年没。男勝りで頑固な面もあったが、愛情深く、侠気なところもあり、また治療は光田直伝で評判がよかった。看護婦全体および、若い医師の面倒もみた。「神山復生病院120年の歩み」に2枚の写真と署名がでている。署名によると石渡こと(こは「古」をくずした字)と書いていた。また、林文雄は著書、天の墓標のなかで、特に1章を設け、「石渡婦長さんに感謝す」を設け、人となりを褒めている。彼女は自腹を切って人の食事の面倒をみられたという。
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