石浦湾海戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/10 02:07 UTC 版)
台湾戦線が膠着する中、クールベ艦隊は強化され続け、1884年10月時点よりも強大な戦力になっていた。1885年2月11日、クールベ艦隊の分隊が台湾封鎖に対抗する清国海軍の南洋水師(英語版)と交戦(石浦湾海戦(英語版))、2月14日の夜にフランス海軍の小型艦艇の奇襲でフリゲート艦「馭遠」1隻を撃沈した。続いてクールベ艦隊本隊も清国海軍を補足、寧波に近い鎮海港へ逃げ込んだ清国海軍の封鎖を行った。後に装甲艦2隻を基幹とした部隊で鎮海港への砲撃を行った(鎮海海戦(英語版))が、双方とも損失は僅かだった。 1885年2月、清の要請を受け、英政府は極東でのフランス海軍入港の拒否を決定した。補給港を失ったクールベ艦隊は報復として揚子江で行われる米輸送を妨害、食糧難を引き起こして講和を促そうと試みたが、米輸送を陸路のみに限らせるだけで、効果は薄かった。
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