省庁制導入のねらい
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/10 07:02 UTC 版)
「省庁制 (オウム真理教)」の記事における「省庁制導入のねらい」の解説
教団では当初「部班制」が採られていた。「総務部」「広報部」「戦え真理の戦士部」「科学班」「編集班」「デザイン班」「被服班」「生活班」「医療班」などがあり、修行に専念するときに一時的に所属する「修行班」もあった。教団の組織化はそれほど進んでおらず、麻原彰晃が直接各部班の決裁をしていた。林郁夫によると、オウム真理教附属医院の患者の治療についても麻原にお伺いをたてていたという。しかし、組織が拡大したことで麻原の負担が重くなり、決裁権や人事権を教団幹部に委譲するために省庁制が導入された。 省庁制導入後は上意下達の組織としての充実が図られた反面、麻原とサマナ個人との霊的な繋がりが薄れ、「尊師」は遠い存在になっていったという。 省庁間では歌合戦、大食い、洗面器に何分顔をつけていられるかなどの競争が行われ、最下位だと掃除をさせられた。科学技術省はよく下位だったので、数学と物理を種目にいれようかという話もあった。
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