監督昇進とテレビ映画とは? わかりやすく解説

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監督昇進とテレビ映画

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/16 16:50 UTC 版)

丸林久信」の記事における「監督昇進とテレビ映画」の解説

1955年昭和30年)、監督昇進同年3月29日公開され司葉子主演作の炎』で監督としてデビューする。このとき、丸林はすでに満37歳になっていた。三木のり平小林桂樹主演したプログラムピクチャー喜劇映画中心に監督したが、監督昇進第9作にあたる白川由美主演作『女探偵物語 女性SOS』が1958年昭和33年9月30日公開され以降丸林監督作諸記録見られなくなる。 その3年後の1961年昭和33年)、東宝テレビ部の契約監督立場変えている。実際に手がけた作品テレビドラマデータベース等の諸記録残っていないが、1964年昭和39年1月22日放映された『娘の結婚第15回三人目息子』、1965年昭和40年1月4日 - 同29日に「ライオン奥様劇場」の放映された『銀座立志伝』、同年7月6日 - 同年9月28日に「東宝スターグランド劇場」の放映された『愛のドラマシリーズ』といったテレビ映画監督務めていることが分かっている。この時期多くテレビ映画脚本執筆したが、具体的な作品名脚本家としての名義等はわかっていない。これらを手がけたのち、同年には、東宝テレビ部のプロデューサー契約職種を変えている。渡辺護回想によれば1966年昭和41年)には、斎藤邦唯扇映画プロダクション製作した渡辺監督作である劇場用映画浅草踊子 濡れた素肌』(同年1月公開)、『絶品の女』(同年7月12日公開)の2作の脚本家としてクレジットされている栄町 はじめは、丸林筆名であるという。1969年昭和44年10月4日 - 1970年昭和45年3月28日放映され中村吉右衛門主演による連続テレビ映画右門捕物帖』を手がけたが、同作以降丸林プロデュース作が諸記録見られなくなる。当時丸林は、満52歳であった

※この「監督昇進とテレビ映画」の解説は、「丸林久信」の解説の一部です。
「監督昇進とテレビ映画」を含む「丸林久信」の記事については、「丸林久信」の概要を参照ください。

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