監督昇進とテレビ映画
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1955年(昭和30年)、監督に昇進、同年3月29日に公開された司葉子の主演作『雪の炎』で監督としてデビューする。このとき、丸林はすでに満37歳になっていた。三木のり平や小林桂樹が主演したプログラムピクチャーの喜劇映画を中心に監督したが、監督昇進第9作にあたる白川由美の主演作『女探偵物語 女性SOS』が1958年(昭和33年)9月30日に公開されて以降、丸林の監督作が諸記録に見られなくなる。 その3年後の1961年(昭和33年)、東宝テレビ部の契約監督に立場を変えている。実際に手がけた作品がテレビドラマデータベース等の諸記録に残っていないが、1964年(昭和39年)1月22日に放映された『娘の結婚』第15回『三人目の息子』、1965年(昭和40年)1月4日 - 同29日に「ライオン奥様劇場」の枠で放映された『銀座立志伝』、同年7月6日 - 同年9月28日に「東宝スターグランド劇場」の枠で放映された『愛のドラマシリーズ』といったテレビ映画の監督を務めていることが分かっている。この時期、多くのテレビ映画の脚本を執筆したが、具体的な作品名、脚本家としての名義等はわかっていない。これらを手がけたのち、同年には、東宝テレビ部のプロデューサーに契約職種を変えている。渡辺護の回想によれば、1966年(昭和41年)には、斎藤邦唯の扇映画プロダクションが製作した渡辺の監督作である劇場用映画『浅草の踊子 濡れた素肌』(同年1月公開)、『絶品の女』(同年7月12日公開)の2作の脚本家としてクレジットされている栄町 はじめは、丸林の筆名であるという。1969年(昭和44年)10月4日 - 1970年(昭和45年)3月28日に放映された中村吉右衛門主演による連続テレビ映画『右門捕物帖』を手がけたが、同作以降の丸林のプロデュース作が諸記録に見られなくなる。当時丸林は、満52歳であった。
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