白井城を追われる
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/10 01:28 UTC 版)
白井長尾氏は関東管領家宰の長尾景仲や景信、長尾景春の乱で有名な景春など山内上杉氏の宿老を務める家格であったが、天文21年(1552年)に上杉憲政が北条氏康によって上野を追われると、憲景は後北条氏に従ったとみられる。その後永禄3年(1560年)に憲政を擁した長尾景虎(上杉謙信)の関東侵攻が行われると、これに従った。この際に『関東幕注文』によると、白井衆の筆頭として「長尾孫四郎」の名前で存在が確認でき、白井長尾氏が上野国衆の中でも有力な政治的地位を保持していたことがみてとれる。その後は上杉氏と敵対する後北条氏と武田氏の侵攻を受け、永禄10年(1567年)3月に武田方の真田幸綱に白井城を攻略され、さらに北条方に寝返った厩橋城主・北条高広に攻められ上野を追われた。
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