病気との戦い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/27 04:28 UTC 版)
「アフリカ戦線 (第一次世界大戦)」の記事における「病気との戦い」の解説
スマッツ軍は複数方面から攻撃した。主攻勢は北のイギリス領東アフリカから、同時にベルギー領コンゴの相当数の部隊が西から2個縦隊で進軍しヴィクトリア湖を越え、大地溝帯に侵入した。もう一つの部隊が南西からニヤサ湖(マラウイ湖)を越え進軍した。これらすべての部隊はレットウ=フォルベックを捕らえることができず、全員が進軍中に重い病気を患った。例えば第9南アフリカ歩兵隊は2月には1,135名いたが、ほとんど戦闘することもないまま10月には116名にまで減っていた。しかし、ドイツ軍は、ほとんどいつも大規模なイギリス軍に対すると撤退し、1916年9月までにはダルエスサラームの海岸からウジジに至るドイツの鉄道はすべてイギリスの支配下になった。
※この「病気との戦い」の解説は、「アフリカ戦線 (第一次世界大戦)」の解説の一部です。
「病気との戦い」を含む「アフリカ戦線 (第一次世界大戦)」の記事については、「アフリカ戦線 (第一次世界大戦)」の概要を参照ください。
- 病気との戦いのページへのリンク