異文化コミュニケーション
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/03 03:02 UTC 版)
異文化コミュニケーション(いぶんかコミュニケーション、英語: Cross-cultural Communication)とは、「文化的背景を異にする (異文化) 存在同士のコミュニケーション」のことである[1]。訓練手段としては「異文化コミュニケーション・トレーニング(実践力養成、擬似体験学習)」がある。
注釈
- ^ 文化とは、一定の地域の中で長年の間に築き上げられ、人々の頭の中に蓄積された「共通の思考体系」のことである。自分の住んでいる地域ではあたり前となっている、共通の「考え方の癖」「行動の仕方」「ものの見方」ともいえる。文化は人間行動の歴史的蓄積であり、それは人々の記憶として蓄積されている。一方、コミュニケーションは歴史を背負った人間が行う他者との「関わり」である。
- ^ アイデンティティとは、他者の目を通して見えてくる自分、他者の自分に対する接し方によって確立される自分である。
- ^ 自己とは信念、価値、態度、欲求といったものが複雑に作用するフィールドである。アイデンティティが社会的でかつ脈絡によって変化しやすいのに比べて、自己はいったん確立してしまうと変わらない部分をその中心に持つ。
- ^ ミルトン・J・ベネットによる「異文化感受性発達理論」によれば、まず異文化に出合うと、私たちは「否定・防御・最小化」という前半の3段階(自文化中心的段階)を経て、その後、更に「受容・適応・統合」という3段階(文化相対的段階)で成長していく。
出典
- ^ a b c 久米昭元・長谷川典子 『ケースで学ぶ異文化コミュニケーション – 誤解・失敗・すれ違い』 有斐閣 2007年
- ^ a b c 池田理知子、エリック・M・クレーマー 『異文化コミュニケーション・入門』 有斐閣 2000年
- ^ a b c d e f 大島希巳江 『日本の笑いと世界のユーモア – 異文化コミュニケーションの観点から』 世界思想社 2006年
- ^ 竹内純子 『みんなの自然をみんなで守る20のヒント』 山と渓谷社 2010年
- ^ 近藤誠一 『外交官のア・ラ・カルト – 文化と食を巡る外交エッセイ』 かまくら春秋社 2011年
- ^ a b c ジェフ・バーグランド 『日本から文化力 - 異文化コミュニケーションのすすめ』 現代書館 2003年
- ^ 勝間和代『勝間和代の学び旅 マナベル - オーストラリア編』 扶桑社 2010年
- ^ 嶋田和子 『ワイワイガヤガヤ教師の目、留学生の声 – 異文化交流の現場から』 教育評論社 2009年
- ^ 古郡延治 『あなたの表現はなぜ伝わらないのか』 中公新書 2011年
- ^ KAORI 『外国人が教えてくれた日本人is No.1 – 家から食事、美意識、性格まで』 PHP研究所 2010年
- ^ 福江誠 『日本人が知らない世界のすし』 日本経済新聞出版社 2010年
- ^ a b c 小坂貴志 『異文化コミュニケーションのA to Z』 研究社 2007年
- ^ 木村洋二・編 『笑いを科学する – ユーモア・サイエンスへの招待』 新曜社 2010年「大島希巳江:異文化コミュニケーションにおけるユーモアの役割」
- ^ 木村洋二・編 『笑いを科学する – ユーモア・サイエンスへの招待』 新曜社 2010年「安部剛:エスニック ジョークは社会の温度計」
異文化コミュニケーション
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/11 05:14 UTC 版)
「鳥飼玖美子」の記事における「異文化コミュニケーション」の解説
2006年、立教大学経営学部国際経営学科教授。2008年からは異文化コミュニケーション学部異文化コミュニケーション学科の教授を務め、母語に備わった文化の要素を認めないまま外国語を使おうとしても、「外国語」を母語とする聞き手には話し手の「異文化の理解」はともなわず、意思が通じにくいこともあると重ねて指摘した。2011年、教授を退任し、同大学大学院独立研究科異文化コミュニケーション研究科特任教授となる。外国語教育を考えるとき、世界で活躍する人材のためには、英語に限らず外国語を学び身につけさせる教育のあり方と、異なる文化を備えたもの同士が意思を通じさせるには「壁」があると意識することを論じている。
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