理論物理学研究所
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理論物理学研究所(りろんぶつりがくけんきゅうじょ)
- 1 理論物理学研究所とは
- 2 理論物理学研究所の概要
理論物理学研究所
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「広島文理科大学 (旧制)」の記事における「理論物理学研究所」の解説
文理大では1934年(昭和9年)から三村剛昂(理論物理学研究室)と岩付寅之助(幾何学研究室)による相対性理論と量子論の包括を目指す「波動幾何学」の共同研究が開始され、理論物理学の「広島学派」として全世界からの注目を集めていた。「理論物理学研究所」は、この共同研究を基礎に戦時下の1944年(昭和19年)8月、大学附属の研究所として設置された。この研究所は理論系の物理学研究所としては日本最初のものであり、初代所長には三村が就任、施設には先述の永懐閣があてられた。三村は物理学の権威として広島に駐留する陸軍関係の講演会でしばしば講師を務め、偶然にも広島への原爆投下前日の1945年(昭和20年)8月5日、宇品の陸軍船舶練習部において「科学兵器について」の演題で原子爆弾製造の可能性について言及し「今次大戦には到底間に合わない」と述べている。 しかし設立から1年も経たない翌日の原爆被災により研究所や設備は完全に焼失し、岩付など2名が殉職、三村を含む多くの研究員も重傷を負った。戦後まもなく研究所は御調郡向島の文理大付属臨海実験所に間借りしていたが、三村所長の郷里である賀茂郡竹原町(現・竹原市)から施設の提供を受け、1948年(昭和23年)3月にこの地に移転・開所して再出発を果たした。新制広島大学への移行に伴い、研究所は広島大の附置研究所となり、以後約40年間、竹原の地で活発な研究活動が行われた。しかし1990年(平成2年)、京都大学基礎物理学研究所との統合により竹原の研究所施設は廃止された。現在、跡地には記念碑が建立されており、旧研究所建物が広島大学瀬戸内圏フィールド科学教育センターとして使用されている。
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