現存する万寿寺
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「万寿寺 (大分市)」の記事における「現存する万寿寺」の解説
江戸時代に入ると、玉英という僧が府内藩初代藩主の竹中重利の許可を得て現在地に草庵を営んだ。これを継いだ丹山は第2代藩主竹中重義(重興)の援助を受けて寛永年間(1624年-1644年)に堂宇を再建し、中興の祖とされた。 境内墓地にはかつて瀧廉太郎の墓や記念碑があった。これは、当寺の近くに住んでいた廉太郎の父が建てたものである。しかし、瀧家は日出藩の家老を務めた家系で、代々の墓は大分県速見郡日出町の龍泉寺にあるため、親族の意向を受け、廉太郎の墓等は2011年(平成23年)3月に龍泉寺に移設された。
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