境内墓地
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/09/13 10:02 UTC 版)
境内に往生院の開基弁長(藤原聖光、 - 嘉禎4年/1238)の墓、奥山静叔(せいしゅく、熊本洋医学の振興に努めた)の墓、熊本洋学校の生みの親である横井太平(昭和28年熊本県近代文化功労者)の墓がある。 正清院供養塔がある。正清院は徳川家康の八女振姫で、蒲生飛騨守秀行の妻となった。その姫を徳川秀忠が養女にして加藤忠広に嫁がせた。忠広夫人が母の供養のために建てた。 境内に豪潮(全国に宝篋印塔を2000以上建てた)の宝篋印塔がある。
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